寂れた日記

曇り後

明けたのか

猥雑な夜の喧騒に包まれる正月、なんてものは無く、いつも通りの寂寞の街。

生き損なった一年は後ろに消え、死に損なう一年が前に立つ。明けた明けたと聞こえるが、未だ日は登らず光も見えない。正月は来るものじゃなく、迎えるものだったっけ。なら、迎える準備をしていない人の所には来ないのか。

今年もこの長い夜が明ける気配はない。明けない夜はきっとある、それが恐ろしいやら悔しいやら。この夜が明ける事だけに期待して、一年を生き抜きたい。

歩く

湿った雪が降り積もる、ただただ寒いばかりの閑散とした夜の青森。

シャッター街には自分以外の足跡がなく、もう何年も前の日焼けしたポスターにいつかの雑踏の残滓を見る。不健康に明滅する壊れかけの電飾看板、サビが浮き出たボロボロのガードレール。この路地は、きっと退廃的オーナメントがコンセプトなんだ。
博報社の前に名札が立て掛けられない日は無く、皆下を向いて空き家の前を通り過ぎる。このカビ臭い街には死が充満していた。

ここから出て行った若者は帰ってこないし、ここで死んで行った人達も帰ってはこない。少しずつ、少しずつ、かつて繁栄していた頃から死に向かって削られているような錯覚、もしくは発覚。

あぁ、でも、青森は歴史上いちども繁栄したことが無いんだったっけ。なら、最初からここは死の街だったか。いまさら、もうどうだっていいや。

終わりこその始まり

今年も残すところあとわずか。

みんな纏めに入り、今年はこうだったとか来年はああしたいだとか、一区切りをつけて動きを止める。

だからこそ、このタイミングで何かを始めてみる。何を始めるにも遅すぎる事は無い、なんて綺麗事を言う人が多いし、きっとこのブログを始めるタイミングも変だなんて事は無い。

動きを止めたら過去になる。区切りをつけたら過去になる。なら、止まらずに動き続けてみたい。俺の2017年はまだ終わらないし、これからも、終わらない。やがてくる本当の終わりまで。